kiseki

Love is the only majic in the world

宇宙人の嫉妬

 

アストラル界のどこかの公園にいた。

天気は曇り。

 

その公園には、

地球を含むこの太陽系の全ての惑星の

銅像”が浮いていた。

 

真ん中の大きな惑星を中心に

両側6つずつ、

合わせて13この惑星の銅像

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そこに私と男性が話していたのだが、

彼はどこかの惑星出身の宇宙人で

エネルギーレベルなのか

人間として紛れているのか

この地球にいるらしかった。

 

そしてその男性に言われたこと、

「あなたができる魂の能力は

宇宙の惑星では当たり前ですから」

 

「はい、分かっています。

私はこの宇宙の惑星たちの~~

をしたいだけです。」

 

“~~”の部分は忘れました。

 

それで彼のセリフの中の宇宙とは

たくさんの太陽系が集まった“大宇宙”で

私の言う宇宙とは、一つまとめのこの太陽系

“小宇宙”のことです。

 

意識領域では感情や感覚なども一緒に伝わる

テレパシーが通常の会話なので、

同じ言葉を使っていても

意図する意味が違うことはよくあります。

 

それで何故彼はこんなことを言ったのか?

 

簡単に言えば「嫉妬」です。

 

もしかしたら、彼は地球に来て

自分の方が地球人よりも

知っていることやできることが多く

優越感に浸っていたのかもしれません。

 

実際彼からは、「ふん( ̄^ ̄)」っていう

対抗心が凄く伝わってきたし、

名誉欲も強いのが分かりました。

また地球人を見下していた感じでもあった。

 

だから地球人でありながら

他の惑星では当たり前のことをしている私に

「へん!そんなの当たり前だから!」

とわざわざ言ってきたのです。

 

確かに彼の言う通り、

能力などは“授かる”“与えられる”

“開発する”ものではありません。

 

DNAの情報に刻まれている

魂本来の機能です。

みんな生まれるときは頭があって

足と手、おへそなどがあるように

当たり前に始めからあるもの。

使い方を覚えているかどうかは別として。

 

なので必ず全ての人ができます。例外なく。

 

不老不死も同じです。

 

ただ何が違うかと言われれば、

自分自神としての私は

ここにいる私の個性を把握して

その特徴を活かして活動しています。

 

ここにいる私を“使っている”のです。

 

使っている意識がちゃんとあるのは

魂の立場から物事を見ているから。

なので本来の自分である魂の能力が使えます。

 

ただ今まで記憶喪失が長かっただけに

それが本来の健康的な状態であることを

ほとんどの私たちは忘れています。

 

その為に“本当の私たちはこうなんだよ!”

という目的を持って生まれた存在達がいて

その中の一人に私という神の一筆があります。

 

ここにいる私というのは“個性”です。

 

「世の中ではありえない!

と思われることを体現しに来た」と

どこかの記事でも断言しています。

 

それが私の個性です。

 

あなたにはあなたの個性があります。

 

それが最近言っている“課題”です。

 

自分の課題を知る、

そして相手の課題と分けることで

必然的にみんなが自分の個性を活かして

知らないうちに自分の目的を果たします。

 

その課題に置いては

あなたがエキスパートです。

誰かに聞くより自分自神に聞いた方がいい。

 

地球も波動をあげて

前よりもエネルギー的にも物質的にも

多くの宇宙人が飛来してきてますが

全員が愛と調和の元で動いているとは限りません。

 

地球人の無知さを利用して

支配欲を満たしている宇宙人もいる。

 

あの人すごい!こんなこともできる!

そう思って何かを教えてもらう、

何かのアドバイスをもらう前に

「なるほど、私もこれができるのね」って

まずそう理解してください。

 

あとこの前、家にエネルギー状態で

結構な宇宙人に訪問して頂き

いろいろな音で初めはビビったのですが、

 

怖いと思う必要はない。

私も地球人という立派な宇宙人。

魂の上ではまったくの同等だ。

 

って意識をしっかり自分軸に戻したら

音が鳴らなくなって

気配も消えていきました。

 

なので、宇宙人>地球人ではなく

宇宙人=地球人という意識をしっかり持つ

理解することが自分意外の存在に

自分が使われない防御になると思います。

 

自立とは誰かに導いてもらう

誰かを引っ張る精神的な依存関係ではなく、

それぞれの主がそれぞれの自分である

人生の舵取りは自分に在ると知っていて

それに行動が伴っていることです。