kiseki

Love is the only majic in the world

“観察者”以外、自分ではない

 

エゴという意識は確かに存在していて、

高次の自分と呼ばれるハイヤーセルフという意識や

地球外の存在の意識などももちろん存在している。

 

感情という意識も思考という意識もある。

 

究極的に言うと、“観察者”以外は自分ではない。

 

その考えは低次の自己であれ

高次の自己であれエゴであれ

観察者という真の自分が何かしらに同調した状態。

 

悲しみも悔しさも、感情という意識に同調し

将来に不安を覚えるのも問題を創り出す

思考という意識に同調しているから。

 

だからってそれは悪いことではなくて、

個としての自分が目的を果たせるように

「それはあなたの役割じゃないよ!」

「道が逸れてるよ!何かが違うよ!」を

教えてくれるネガティブな想いや感情と、

 

「そうそう魂の計画通り♪」

「愛と調和の選択をしているわ♪」を

教えてくれるポジティブな想いや感情がある。

 

ただあくまでそれらは“計測器”であり自分ではない。

 

感情は自分ではないし、

思考も自分ではない。

 

だから感情も思考も扱える

 

観察者である真の自分が感情と思考を扱い、

物質界で現象化させたいものを創造する。

 

人がブログを書こうと思い立って書く内容も

何かを思い立ってする行動も全て

観察者である自分が何かの意識に同調し

それを元に現象化されている。

 

寝る前、湧き出す感情や思考、声に耳を澄ませ

ただじっと眺めているその時間だけは

真の自分に還っているとき。

 

本当の自分である観察者。

 

あぁ、私は日中この感情に、この思考に

自分を同調させていたんだなと分かる。

 

どの意識も感情も思考もツールの一つに過ぎない。

 

“観察者”以外、本当のあなたではない。


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